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お茶の歴史を研究しながら、御所西に静かに暮らしています。

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Posted by 京つう運営事務局 at

2009年06月15日

今も昔も・・・

きのうから『蔭涼軒日録(いんりょうけんにちろく)』を読んでいました。
『蔭涼軒日録』は、相国寺鹿苑院蔭涼軒主の公用日記で、今回の部分は亀泉集証というお坊さんが書いております。

文明19年(1487)2月7日の「勤行始」から3月16日の「七七日」(四十九日ね)の「満散」まで、8回にわたって鹿苑院において足利義政の逆修法要が行われました。

逆修(ぎゃくしゅう)というのは、「生前に、あらかじめ自分のために仏事を修して死後の冥福を祈ること」(『広辞苑』)です。

ですから、義政の御成(おなり=おでまし)もあるし、将軍家菩提寺の等持寺や比叡山の僧侶も動員されるし、お料理も出るし、当然費用がかかるわけです。
なのに、まだ四回目が終わったあとの2月29日条に、こんな文言を見つけました。


御逆修要脚払底


え、費用が底をついたって・・・。まだ4回分残ってるやん・・・icon10
亀泉集証はどうしたかといえば、伊勢右京(右京亮貞遠?だったら政所執事の息子)にお金を督促しているんです。
お金なくなったから頂戴って、えらいどんぶりぶり。
それでお金は無事?にもらえたようで、とにもかくにも、この法要はつつがなく最後まで行われました。
が、こんどは百ヶ日逆修法要をやるとか言っているんですよ・・・おいおい、費用はどうなるんやと。
それこそ税でなんとかするか、借金をしても、かき集めるんでしょうねえ。

なにしろ中世は、借金を前提として世の中がまわる経済システムなもんで(井原今朝男氏『中世の借金事情』吉川弘文館 2009年)、薄氷を踏むがごとくお金を回しているとか、切迫した感覚がなかったようなんですね。
これって、ふつうの我々庶民の感覚からしたら、信じられない気がいたしますけど、
ことお国のこととなると、時代は違えどもいまも一緒かなあと。
だって補正予算がほぼ借金、っていうでしょ。
ちなみに、この中世の借金まみれの経済システムが解消されるのが「太閤検地」なんですけど、現代だとどうなるんでしょうねえ。
うーむ、あまり考えすぎると具合が悪くなるんで、このへんでやめときます。

金は天下のまわりものとはいうけど・・・icon11  


Posted by もちや at 09:03Comments(4)歴史

2009年06月14日

鴨のくぼて

きのう、下鴨神社さんで「鴨のくぼて」という器を購入しました。
来月行われる御手洗祭でも、参拝者にふるまわれる神水を入れる茶碗として使用されていますよね。








何かが気になるんです。
それにこの説明書。
わたくしは器関係には明るくないので、いまはどうとは言えないのですが、
いくつかの要素が一緒になっているような気がいたします。

これは、神様(勉強の神様・お茶の神様)が「そろそろ器も勉強せなあかんで」とおっしゃっているように思えてきました(笑)。
ただし、わたくしの場合、興味の範囲が中世以前ですけど・・・。

まあ、「お皿集め隊」としては、またひとつ増えた、ということで(笑)。
  


Posted by もちや at 08:17Comments(0)歴史

2009年06月12日

元気の源

眼底ぐるぐるが治まった朝、強烈に思いました。
「ここまま、へたーっと一日を過ごしたくない!」と。
でもエンジンがかからない・・・。

そこで、朝一で、高島屋さんへ。
五階で「着物のように着れる浴衣」ということで、竺山(ちくせん)の萩柄の奥州小紋を選び、お仕立てをお願いしてきました。
これは去年からの計画通りです。
来年は、カリブ海の3つの島でしか採れない綿からつくられた千總さんの夏用の長襦袢(お仕立て付)にしようと心に決めました(笑)。








同じ五階の月ヶ瀬さんで抹茶クリームあんみつを。

そのあと、市バス59番に乗り、一時間以上かけて参りましたのは、








「佛教大学宗教文化ミュージアム」です。
現在春期特別展「海を越えた陶磁器と茶の文化 海のシルクロードの出発点福建」を開催中です。
唐物について勉強する良い機会と捉えて行って参りました。
モノがあるから証明になるのだ、と某分野の方々のいささか短絡的な論理の展開に辟易としているところ、
科学的な分析に基づきつつ、慎重な結論をお書きになっているキャプションや図録の文言に、おかしな言い方ですが「安心」いたして帰って参りました(笑)。

しかしながら、唐物→会所の芸能→茶の湯という展開は、そろそろ脱皮してもよい時期に来ているのではないかと思っております。
のちの茶道とのつながりだけをみるのではなく、もっとそれぞれの時代の社会全体における唐物の位置づけをし直すべきだと思います。
突破口は、そろそろ見えているはずなんじゃないですかね。あとはそれを誰が本腰を入れてやるかどうかだけだと(にんまり)。


なお、7月4日(土)午後1時から「春期特別関連シンポジウム」もございます。
これは行こうとおもっております。

最寄バス停は「広沢池・佛大広沢校前」ですので、








広沢池もすぐそばです。ひろびろとした風景に、心が和みます。







池のほとりの看板には「鯉・鮒・もろこ」の文字が・・・これをみて、「鯉のあらい」と「もろこの佃煮」が食べたいと思ったわたくしは、根っからのくいしんぼうですね、はい。
  


Posted by もちや at 15:45Comments(2)歴史

2009年06月08日

愛宕さんで・・・








GWに愛宕さんで撮ったこの写真。蛇行して流れる桂川を写しております。

某所の某展示で少しおっきいパネルになって使用されることになりました。
わたくしの腕がいいんじゃなくて、デジカメの性能がよかった・・というだけの話でした(爆)。  


Posted by もちや at 12:36Comments(2)歴史

2009年06月07日

お茶の木は呼んでいる ~『異制庭訓往来』の名産地~

南北朝時代成立の『異制庭訓往来(いせいていきんおうらい)』には、次のようなくだりがあります。

我が朝の名山は、栂尾をもって第一となすなり。仁和寺・醍醐・宇治・葉室・般若寺・神尾寺、これ補佐となす。

南北朝時代の茶の名産地の第一は、栂尾高山寺でした。第二位グループが6ヶ寺あり、そのなかのひとつが「神尾寺」というお寺でした。
この「神尾寺」は、『遊学往来』に「丹波神尾寺」と出てきます。
情報はこれだけです。

これまで茶道史では、これがどこのお寺のことをいっているのか、きちんとした比定がなされてきませんでした。
兵庫県にあったとか、「かみおでら」といったとか、もういろいろ根拠がないことがいわれていたのです。
それを亀岡市にあるいまは廃寺で金輪寺に継承されている、「神尾寺」(かんのうじ)ではないかと考察したのは、このわたくし(笑)。
「神尾寺(かんのうじ)」は、もと天台修験道のお寺で、明恵上人によって中興されたお寺です。
ついでに戦国期には、このお寺の背後の山、神尾山一帯が、中世城郭となっていました。

そして、その金輪寺さんに、どうやら茶の木があるらしいと教えてくれたのは、YK資料館のIHさん。

ということで、IHさん、亀岡市のUさんDさんにご案内いただき、「喫茶文化史研究会」の一部有志とともに、現地見学にまいりました。







まず、神尾山ふもとの宮川神社さんへ。
近くであきらかな放置茶園を発見
近くで草刈りしていたおじいさんにお話を伺うと、おじいさんが覚えている範囲ではもう放置してあったそうです。
しかし、近所のお宅でいまでも茶を摘み取り製茶しているという。







次に車でたいへんな山道をあがったところにある神尾山金輪寺さんでは、住坊跡に人為的な茶の木の栽培の跡が・・・。








そのあと、お寺で前ご住職にお話を伺いました。
そのとき「伝承だから・・・」と前置きをされてお話になられた内容にびっくりです。
わたくしが拙稿の中で推測して書いたことと、まるで同じことをお話しになられるのです!
こんな体験もあるんやわあと、ちょと不思議な気持ちで拝聴していました。







また前ご住職が、実生から栽培していた茶園もありました。
その後方、神尾山城につづく道もずっと茶の木が続き・・・
今回は時間がなかったために、ここはここまで。







さらに、千代川の湯井にある農家さんと近くの共同製茶工場を見学させていただきました。
この共同製茶工場には、ここ千代川の3軒の農家の茶がもちこまれるだけではなく、
隣接する八木や、なんと大阪府能勢からも生葉が持ち込まれるそうです。
しかし、それらはほとんど自家用茶なんだそうです。
もと小学校の建物を移築したという茶工場が、なんとも味があるんですわ。
画像は天井の様子と、丸い輪っかは昔の動力のなごり。

この農家さんで、今年とれた新茶をいただきました。
軽く花の香りがして、青みがあって、渋みもあって、野性味があるお茶で、懐かしい味。
肥料をやってないお茶だから・・・とおっしゃいましたが、わたくしにはかえって美味しく感じました。

さらに少し離れたところにある茶園にも。







これは地元の小学校の茶園です。
今年はインフルエンザ騒ぎのなか茶摘みをしたために、なんと全校生徒マスクをして茶摘みをしたという・・・(汗)。

というわけで、今回もたくさん茶園や茶の木を見て歩きました。
関係者の皆様、ありがとうございました。
しかし、何をもっても「時間が足りなーい」!
そこでIHさんいわく「ということで、もちやさん、第二次・第三次調査をしましょう。」
んん?っていうことは、次回は、恐怖の山城(やまじろ)登り~い?!icon10

だからあ、恩師の山城のぼりについていけなくて、山道登り始めて30分で能貧血になり、「あんたはあかんなあ」といわれた不肖の弟子ですって(爆)。
んなこといってられまへんねえ。
まずは膝、治します。
  


Posted by もちや at 19:27Comments(2)歴史

2009年06月06日

R学会の大会へ

午後から、R学会の大会に出席するためにKH大学に参りました。
「食」がテーマの研究発表を3本拝聴しました。
近世の鮎を中心にした特産物の考察もあり、
コメンテイターの先生のご指摘が、国を越えて共通性があることに気がついたり。
(いまは2番目の母校にいらっしゃるので、いずれお目にかかりたく)
時代や国が違えども大変勉強になりました。

それにしても、ブランドってなんだろう・・・。

R学会には今回ご縁ができまして、大変お世話になりました。
なかには、久しぶりにお会いするかたがたも。
特にU氏(蔵王堂の少年)には、15年ぶりであったために「ぜんぜん違うから、わからなかった」といわれました。
同じ京都にいながらも、時代や分野が違うために、ほとんどお会いすることがなかったわけでして・・・。
「まあ、苦労しましたから」とお答えしておきました(爆)。

というわけで、拙稿①もめでたく活字になりました。








まだまだなので、引き続きがんばりまーす。
関係各位には、抜刷が到着次第、お送り申し上げます。
ご指導ご教示を  


Posted by もちや at 19:36Comments(2)歴史

2009年06月04日

学界情報


日本史研究会近世史部会6月部会報告 卒論報告

日 時 :6月22日(月) 18:30~21:00
場 所 :日本史研究会会議室(機関紙会館3階)
 
報告者 : 山田 淳平氏  
報 告 : 「近世中後期における楽人社会の変質―三方楽所における格差の問題を中心として―」
参考文献 : 小川朝子「楽人」(『近世の身分的周縁2 芸能・文化の世界』吉川弘文館、2000年)

報告者 : 鳥羽田 真樹子氏
報 告 : 「近世後期における京都町人の茶の湯」
参考文献 : 守屋毅「近世の町人と遊芸」(『歴史公論』第6巻 第10号、雄山閣、1980年)

*日本史研究会で、茶道史の発表があること自体が珍しいことかと存じます。

以下のようなことを書くのは余りに無粋であり、書きたくはないのですが・・・
このような情報は、あくまでもちや個人の備忘録として書かせていただいてます。
従って、イベントなどの拙ブログへの掲載のご依頼はお断りします。
もちろん、もちやへの直メール・お手紙などでの催しのご案内は、大歓迎です。
ご案内の内容によっては、お願いをして掲載させていただくこともございます。
それはあくまでもちやの「興味」と「気分」によるものであることをお含み置きくださいませ。  


Posted by もちや at 07:11Comments(0)歴史

2009年06月01日

きのうの答えは・・・

さて、きのうのクイズの答えです。








ここでございます!「京都市南区久世上久世(かみくぜ)」。
最寄駅は、ぴっかぴかのJR「桂川」駅です。京都駅から西へ普通で2めの駅になります。
解説を加えますと、

①上久世の綾戸国中(あやとくなか)神社さんの氏子中からは、祇園祭で神幸祭・還幸祭の先導をつとめる久世駒形稚児が選ばれます。

②古田重然(織部)は、天正四年に上久世荘の代官をつとめました。

③中世後期の上久世荘は、東寺領荘園でした。

④桂川の久世橋から南西にむかって西国街道が通っております。
南北朝時代成立の「地蔵菩薩霊験記絵」の中には、西国街道沿いにあったという桂地蔵お堂の後方に、茶所もしくは茶屋が描かれています。これが、茶所もしくは茶屋を描いた最初の絵画史料なんです。
(桂離宮から西に行った桂地蔵とは別物です)
その南北朝時代の桂地蔵の場所は不明なんですが、川沿いには2軒ばかり、茶屋というか料亭というか、あみ船屋さんが今も残っています。

まあ、そんなふうに、幾重にも興味がある上久世に、本日行って参りました。







まずは、蔵王堂へ。
稲垣泰彦編『荘園の世界』(東京大学出版会 1973年)に、U氏がご幼少のみぎりに、おそらくここの室町時代につくられた仁王門前で、お父様(もちろんU先生)に写してもらった写真が掲載されていることは、業界的には有名?ですよね。
その仁王門も建て直されてぴっかぴか。
仁王門前の西側には、もと久世橋のところにあった常夜灯がございました。
それにしても、蔵王堂を取り巻く森が、想像していたよりもうっそうとした印象を受けなかったのは、開発が進んだためとみられます。






次には綾戸国中神社へ。
もともとは、綾戸神社があったところに、戦国時代?に蔵王堂から国中神社が引っ越してきて同居、のち一緒になったといいます。
しかも、新幹線を通すために、神社が東にずれて現在の場所になったそうですわ。
このほかにも、平城の上久世城跡(城主は寒川氏?)とみられる小学校のあたりとか、上久世の立派な集会所(六斎念仏のための施設も)、野墓なども確認。







あとは、中世の水路あとはこれかと。(『教王護国寺文書』の絵図には「井」とあるものですね。)
また、荘域を歩いての印象は、「京郊荘園は、豊かである」ということでした。
実に素敵な屋並みの個所が随所に!
屋敷地内の菜園では、幾種類もの農作物が勢いよく育っておりまして、やがて豊かな実りの時を迎えるのだろうなあと想像させられました。

そんな風に、荘域をたっぷり2時間かけて歩きまして







本日のお楽しみ、桂川沿い久世橋近くにある「川辰」さんでお昼にしました。
いまは八坂圓堂さんで修業されたご主人がつくらはる美味しい天ぷらが中心のお店ですが、かつては「あみ船」を冠してらっしゃるように、桂川で獲った魚を提供していたそうです。
ランチは、先付、天ぷら8品(海老2匹、魚介類3品、野菜3品)、旬のお造り、特製サラダ、御飯(かき揚げ小天丼)、香の物、赤だしで、前日までの予約が必要です。
詳しくはここ→☆
天ぷらもなにもかもすべて美味しくて夢中でいただいていたので、写真を撮るのを忘れていました(笑)。
ごめんあそばせ。
かろうじて、最後のかき揚げ小天丼を。
いやー、美味しかったわあICON120ICON120ICON120
しかもこちらのご主人は、お話し上手で、カウンター越しに上久世のことをいろいろ教えていただきました。
ほんま、勉強になりました。おおきにです。
ここ、ほんまにお勧めです。またぜひ行きたいですわあ。桂川駅から歩いても13分ですし。便利便利。
でも、今度行くときには・・・







ぜひ、桂川で屋形船に乗って、お料理をいただきたいです。
ええでしょう。
同業者のみなさま、特に荘園史や漁撈史とかをご研究のお兄様方お姉さま方、御一緒に屋形船、いかがでしょうか?ICON63  


Posted by もちや at 16:24Comments(5)歴史

2009年05月31日

クイズです「祇園祭×古田織部×東寺×茶屋=?」

近々、とある京都市内の場所に行こうと思っております。
さて、その場所は、どこでしょう?

①今年はしっかり疫病をはらってもらいましょう、祇園祭に深い関係がある。

②「へうげもの」で大人気、古田織部に関係がある。

③中世には東寺領でした。

④ある主要街道がこの地区を通っており、街道沿いには茶屋もあった(いまもその名残が・・・)。

ご覧の京都通のみなさま、はたまた同業者のみなさま、お分かりになりましたか?
正解者には・・・考えさせていただきます。ふふふ。  


Posted by もちや at 15:14Comments(0)歴史

2009年05月15日

『絵画の変―日本美術の絢爛たる開花』

若干肌寒いものの、お天気に恵まれた葵祭の京都です。
とにもかくにも、本日は、おとなしく読書。







並木誠士氏『絵画の変―日本美術の絢爛たる開花』中公新書 2009年

日本における外来文化の受容過程を考える上で、勉強になる一冊でした。
同じく外来文化であるお茶となんら変わるところがないわけです。
ただ、論を二項対立で展開されようとするあまりか、根拠とされる歴史認識や史料解釈に「?」を覚えるところがとこどどころに。
特に最後の「モノ」を描く絵画については「なぜ?」が解決されず、わたくし的には、消化不良。
自分で解きなさい、でしょうか(笑)。








あ、K文庫ののN先生から、お見舞いをいただいちゃいました。
御心配おかけしまして、すみません。恐れ入ります。
でも、家でおとなししてなくちゃいけないので、うれしいです。  


Posted by もちや at 12:10Comments(0)歴史